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「江戸硝子」とは、江戸時代からの伝統を受け継ぎ、手造りで製造されたガラス製品です。 手作りのガラス製品の良さは、機械による大量生産品とは異なり、製品のひとつひとつが全て オリジナルの1点モノであり、その味わい深く、手作りだかこそ出せる独特のデザイン性や深 みなど、職人が丹精込めて作り上げられた製品です。

製造方法は、1,400℃ほどの高温で熔かされたガラスを鉄製の棹(さお)で巻き取り、吹いたり、 押したり、延したりしていろいろなガラス器を手作業で形作ります。



※写真をクリックしますと拡大できます。

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『江戸硝子』は、
平成14年1月25日に東京都伝統工芸品として指定されました。

東京都の伝統工芸品に指定されるためには4つの要件が必要です。
  ●製造工の程の主要部分が手工業的であること。
  ●伝統的な技術又は技法により製造されるものであること。
  ●伝統的に使用されてきた原材料により製造されるものであること。
  ●都内において一定の数のものが、その製造を行っていること。
東京都伝統工芸品の詳細はこちら

日本の硝子製造は、弥生時代(BC300〜AD300)に発見された最古の工芸品として永い歴史があります。 江戸における硝子は、18世紀の初めで、鏡、眼鏡、簪、風鈴等を製造したのが始まりとされています。 現代の硝子の歴史では、日常食器類、瓶、そして理化学用硝子などが製造されるようになりました。 欧州の技術の導入のより、明治時代(1868〜1912)初期に工芸品を近代化し、東京の地場産業として発展しました。



(参 考)
「ビードロ」とは、マルコ・ポーロの「東方見聞録」の情報を頼りにすると、我が国の室町時代 明応元年(1492年)にクリストファー・コロンブスが率いるサンタマリア号がスペイン領パ ロス港を出航し、黄金の国「ジパング」を目指して西へ進んだ訳だが、彼が辿り着いた場所は日 本では無く、アメリカ大陸のバハマ諸島であった。もし、彼が東へ進路をとっていたならば、3 年後までには、日本に西洋ガラスが伝わったいたであろう。

さらに歴史は遡るが、天文12年(1543年)に、インドからポルトガルへ戻る予定であった 南蛮船が台風に巻き込まれて、偶然に漂着した場所が種子島であった。その際、鉄砲を莫大な金 貨と引き換えに購入したという話が広がり、「黄金」の国ジパングを目指せというブームが沸き 起こったとされる。

そして、6年後の天文18年(1549年)に、ポルトガルのフランシスコ・ザビエルが鹿児島 へ上陸し西洋の珍しい品々と引き換えに高値で黄金を得ようという考えから、鉄砲等と併せて、 「VIDRO」があったとされる。


ガラス器製作図「俳譜東土産」より
この「VIDRO」ビードロとは、ポルトガル語のガラスを意味する言葉が、時代を経て「ヴィ ードッロ」と変化し、「硝子・ひいどろ」と書かれるようになった。
その後、「硝子・ひいどろ」は、戦国時代や安土桃山時代の所謂、戦国の世においては、ごく限 られた者だけの珍品という扱いであったが、江戸時代に入り我が国においても、その製造を行う ようになったと言われている。(日本では飛鳥時代以前にもガラス製品はあったとされているが、 この頃のガラスと、江戸時代に広がった「硝子・ひいどろ」とは製法が異なる。現在、普及して いるガラスとは、「硝子・ひいどろ」製法のガラスを一般的には言う)


ギャマン切子丼
一方、「ギャマン・ぎやまん」とは、寛永16年(1639年)に徳川幕府が国内安定の目的で 鎖国令を出したことが発端であるとされる。
当時、頻繁に交流していたポルトガル南蛮船は、フランシスコ・ザビエルに始まるキリスト教と 幕府との間での宗教上の違いから、信教を持つポルトガルやスペインは国外追放となったが、信 仰を度外視して交易だけを行うオランダだけは、長崎の出島での交易を認められた。
そのオランダ船の中に、積まれていたガラスを「ギャマン」と呼んでいたことを、当時の人達は、 「ぎやまん」と
書き記したことが発端となり、その後、「ぎやまん・議屋満無」と呼ばれる厚い地肌の「手彫り 切子」と発展した。
元々、「ギャマン」は、オランダ語の「Diamnt・ディアマント」(ダイヤモンド)が訛ったと言 われており、切子の模様がダイヤモンドのように見えたのかもしれません。 即ち、ダイヤモンドカットを施された加工は、当時のヨーロッパにおいても加工が困難であり、 高価であったことから、「硝子・ひいどろ」とはある意味異なった高級品という独自の文化を歩 んだのでしょう。

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